皇国の興廃此の一戦に在り
橋本 雅晶 2003/11/07 (金) 18:29 [No.410] 返信(引用して返信)
タイトルは日露戦争の日本海海戦で東郷司令官が発せられた言葉です。
不本意ながら苦しい戦いを強いられている荒巻先生ですが、
私は荒巻先生の強運を信じています。
この方は生まれつき強運の持ち主です。
| 明治38年5月27日未明、ロシアのバルチック艦隊が九州の西対馬海峡に現れた。 午前9時40分、付近哨戒中の哨戒艦信濃丸からの報告により東郷司令官は、「敵艦見ゆとの警報に接し、 連合艦隊は直ちに出動これを撃滅せんとす。本日天気晴朗なれども波高し」の第1報を大本営に打電して 艦隊三笠を率い鎮海湾から出撃した。 やがて敵艦隊を認めた長官は、旗艦三笠のマスト高く戦闘旗を、ついで1時55分、 「皇国の興廃此の一戦に在り、各員一層奮励努力せよ。」のZ旗信号を掲げ、全軍の士気を鼓舞した。 両軍の距離が8000メートルになった時、長官は右手を大きく左に振り、取り舵一杯を命じ 敵艦隊に接近した。時2時5分、これが有名な東郷長官の敵前大反転である。 敵は好機到来とばかりに砲撃を始めたが、まだ一列の戦闘隊形(単縦陣)が出来上がっていなかったために 味方が邪魔になり、思うように射撃が出来ず、また訓練不足と折からの荒波でなかなか命中しなかった。 敵艦隊の射撃開始2分後の2時11分、彼我の距離6500メートルになった時、 長官は初めて「打ち方はじめ」を命じた。世界の注目を集めた世紀の大決戦はこうして始まったのである。 |
| 戦力では不利な我が軍であったが、戦果を総合すると、38艘の敵主力艦の中、沈没21艘,降伏・拿捕 7艘、中立国に逃げ込み武装解除されたもの7艘、残り3艘の小艦艇が目的のウラジオストックに 到達したのみであった。 我がほうの損害はわずかに水雷艇3艘のみ。 また、この海戦でロシア側は戦死者4545人、捕虜6106人出会ったが、日本側の戦死者は116人であった。 世界海戦史上稀なる完全勝利であり、これを契機にアメリカのポーツマスで 日露講和会議が実施されることとなった。 日本海海戦は、日露戦争の勝利を導く上で決定的な役割を果たし、日本に平和をもたらしたのである。 荒巻先生の勝利が6区に繁栄をもたらすでしょう。 |