| 小郡市 渡辺正俊
ここ数年、臓器移植とこれにからんだ脳死の問題が、医療関係者のみでなく、マスコミ、一般大衆も含めて重大な関心事となっている。
特に島根医科大学で生体肝移植が実施されてからは、なおさらその賛否の論議が盛り上がっている。
現在、大部分の医療関係者は、脳死を人の死として認め、これを前提に臓器移植も積極的に推進しようとする立場にある。これに対して一部少数の人達は、これらに強硬に反対し、移植医を殺人罪で告訴するという騒ぎまで起こして
いる。
その反対する理由については、一部理解できないものでもないが、大部分ははとんど根拠のないものであり、非科学的な感情論に終始しているように見受けられる。
反対の最も大きな理由は、臓器移植をおこなうようになれば“早すぎる死の判定”が起こりはしないかと言うことである。
これには20数年前の札幌医大での心臓移植事件や、また心臓が止まらないかぎりは死ではない、という日本人の社会通念ないしは宗教観が関係しているようである。
しかしながら、全世界ですでに何千例もの心臓移植や肝臓移植が行われている今日では(ちなみに1988年1年間だけで2000例の肝臓移植が行われている)、当然社会通念も変わるであろうし、また脳死の判定もこれまで蓄積された豊富なデータをもとに、複数の医師達が慎重に判定を下せば、20年前のような疑惑を招くことはないと考えられる。
それにまた反対の中心となっているのは、医療現場とは直接関りあいのない人達が多いようであるが、少くとも人の死を論ずるのであれば、頭の中だけで哲学的、観念的に考えるのではなく、たとえ数ケ月でもよいから第一線の医療現場に出向き、多くの死にゆく様子を直接自分の目で確かめてから結論をだす必要があろう。
一方、実施する医師の側にも問題があったように思う。というのは、これまであまりに世論やマスコミの動向を気にしすぎで慎重になりすぎたきらいがある。
何の場合でもしょせん100%の合意を得られることはないし、先達者にはともかく中傷はつきものであるから、世論の合意をただ単にじっと待つだけでなく、自分が世論を積極的にリ
ードしたうえで、ある時には思い切って英断を下す必要があろう。
外国でも初期には同様の困難はあったのであろうが、先駆者達の努力により今日の隆盛をみたのであるから、日本でもできないことではない。
日本の患者達は20年以上も待たされ、さらにまたこれから何年待たされるかわからない状況の中で、運のよい者は次々と外国に出かけては移植手術を受けている。この光景をまのあたりにするにつけ、一刻も早い臓器移植の再開を望むものである。
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