|
三井郡 熊谷 和俊
「筋湯両筑屋より小川を横切り、うす暗い杉林をぬけて急坂を登りつめて行くと、吾がなつかしのりんどう小屋に着く。
ガラガラと戸を開けて暗がりに入ると、永い間留守にしていた吾家に戻った様な気持になる。」
以上は昭和16年、九州醫學専門學校(久留米大学医学部の前身)山岳部報第2号に、「龍膽小屋雑感」として田代重種先輩(九医12回卒)が載せられた文の冒頭です。
久留米大学の山小屋「りんどう小屋」が完成したのは昭和13年、奇しくも小生と相年であります。
小屋は、電気もガスも、水道もありませんでした。大雨の度に様変わりする水路、湯道を拓き、肥たごを担ぎ、背負子で炭俵を運び上げ、破れた布団を繕い‥‥‥
先輩の 力協せて造りたる
この山小屋を いかに守らむ
田代 重種
と、歴代の山岳部員の努力によって小屋は維持管理されて、台風その他、度重なる災難にも耐え、無人の小屋ながら昭和30年代には岳人必携の「山日記」の全国山小屋一覧にも記載されていました。
●りんどう小屋(非公式)
昭13 1140m 九州大学研修所東上久住登山路
直上(宮原) 連絡久留米市久留米大学医学
部山岳部 20人 番無 寝燃炊あり 冬適
昭和42年、筋湯から瀬の本へ通じる車道の工事が始まり、小屋の真上から落石相次ぎ、己むなく小屋は約一粁程上流に移築され「洗心荘」として現在に至っています。
小屋には宿泊名簿の他に、「随想録」、別名「らくがき帖」が備えてありました。小屋の利用者が自在な感想を書きつけるものです。
山への賛歌をはじめとして、哲学的瞑想?、愚痴オノロケ、はたまた和歌に俳句、川柳狂歌、更にスケッチ、水彩画、版画もあり、戦後間もない頃の雨具の研究、登山ルート図等々、多種多様であります。
残念ながら現存するのは昭和22年の第4巻以降で初期の三冊と宿泊名簿の行方が分りません。お心当りの方がいらっしゃいましたら是非御一報下さい。
十年程前からこの随想録を何とか復刊したいと、りんどうくらぶの会(山岳部OB会)が催される度に話題になっていました。
この度、会長の弥永耕一先輩(九医18回卒)以下4名の会員で手分けして保存されている全7冊から抜粋して1冊にまとめ、今秋には刊行出来る予定となりました。
編集に携わってまた改めて感じたのは、幾年を経ても変ることのない若人の、山と、山小屋への一途な思慕の情であります。
手垢にまみれた随想録の頁を捲れば、瞬時にしてあの頃の、山小屋の囲炉裏端に座している我を見るのであります。
久留米大学の関係者以外でも、当時の随想録に綴られた方は少なからずいらっしゃる筈です。
5年前の福岡市医師会報に「りんどう小屋」と題して、幼い頃父君に伴われて家族ぐるみでりんどう小屋で過された思い出を寄せられた、西区の宗信夫先生の一文は、今回の思い立ちの大いなる後押しとなりました。
山を、そして久住を愛して止まぬ会員諸氏の御一読を乞う次第です。
龍膽や 雲吹きあぐる 國ざかひ
寒月
(武藤太善雄 九医16回卒)
問い合せ先 久留米市六つ門町12−12 弥永協立病院内
りんどうくらぶ
TEL O942(33)3152 FAX O942(38)7445
|