トンカツの踊り食い

小郡三井医師会 柴田 史朗 

梅雨あけ前、夕立と雷の、この季節が私は好きだ。
私(以下僕と略す)は世田谷の場末で生まれ育った。
 オカマのま−ちゃんは左手に洗面器、右手でアップの後ろ髪をなでつつ夕方、銭湯に腰振りながら出かける。烏天狗みたいな「て−ちゃん」は便壷に落ちた飴玉を拾い洗って食べた、教師の息子の小川君は親の金盗みタクシーの中から煎餅をばらまいた、などの話が飛び交った。原っぱわきの家はいつしか住人がいなくなり、僕達はその家を壊しまくった。大人達は何故か注意しなかった。おめかけさんのいえ、とのことだった。
 高3の夏休み、僕達は信州の学生村に出かけた。「近くの歯医者さんみたいにお妾さんをたくさん持つんだ」と歯科医を目指す台湾どじょうみたいなミトモ君はガハハハハと下顎に味噌汁を流し込んだ。暗い多浪生は階段下からスカートを覗く。早稲田大学で司法試験留年していた松尾さんには麻雀の授業料を払う。名古屋から来た三人の女子高生の二人は同じ苗字だった。
「加藤さあん、お父さんから電話」と声がかかる。はーい、と立ち上がり「あっ、私、お父さんいないんだった」と言う。皆、黙々と夕飯を食う。女、その女の彼、その女の女友達という三人づれの高校生が来ていた。糸に吊るしたねずみ花火をつけに行かなかった僕に、女の女友達のイワマカヨコは、「よわむし」と言った。その夜の消灯後、「明日帰るから」と、僕達の障子部屋の前に立ち、僕の友達にイワマカヨコは言った。向いの部屋でたぶん寝付いてないだろうアヒル声のツギコを好きだった僕の友達は、気持ちを判っていながらも、「ああそう」とだけ答えた。イワマカヨコさんは弱虫のまま去りたくなかったのだろう。僕の友達は数年後、司法試験の合格発表で「あった!」と言う声と共に泣き振り向き、僕の右肩に前歯の痕跡を残した。
 翌年、僕は駿台予備校の四谷二軍校舎に通うことになった。
 梅雨時になると部屋は地獄のように蒸し暑く、窓硝子の内側には大学に飢えた生徒達の汗と涙が流れた。東大がパリストされた。容姿の偏差値は高いとはいえない女生徒が予備校へと小走りに急ぐ。右靴下止めがずるずるずると足首まで落ちる。立ち止まり、ずりり持ち上げ走る。再びずるずるずる、ずりり走る。僕は思わず右に折れパチンコ屋に向う。ブルーライト横浜の曲がかかると球が良く出た。そのままトンカツ屋へ。カツと気風のいい板前のきざんだ産地直送のシャキシャキキャベツとみそ汁とソース。
そして今、田舎でトンカツらしき物を食らう。ひときれ挟んで前歯でサクッ。ビュッ。何かが飛び出す。箸に残った衣半分の軽さに驚く。揚げる温度が高すぎ、衣が脆くなり、衣から肉半分がロケットのように飛び出した事を理解するまで数秒かかった。
   とんかつの はらり落ちよる 衣かな  おそまつ