|
出生時産声が出なかったことで先天性心疾患と分かり、かなりの心不全を抱えながら当時手術可能な体重になるまで7年半待った。幼児期は上体挙上しないと眠れない。飲食すれば途端に大量の汗が噴き出すし、入浴すれば2時間は汗が止まらない。手術を受けなければ18歳までの命だと言われ続けていたので医学書で勉強し、Eisenmenger化する前に受ければ大丈夫、と成功を確信して手術に臨んだ。術後たったの数ヶ月で体重が1.5倍になって大喜びしたけれど、心疾患にあるまじき健啖家で、かつ運動は全くしなかったので、BMIはその後数字を増すばかりである。
体育教師から走れと執拗に迫られやむなく走り出したが、20mも行かないうちに喉頭浮腫を起こして倒れた。以来全力疾走はしていない。いかに体力温存するかを終始考えて生活し、遠足や修学旅行もほとんどパスしてきた。
術後夏休み毎に大学病院を受診して経過観察を受けた。8時間待ちの5分診療で「体育しても良いですか?」と尋ねると、外科医が「治ってるから良いですよ」と言う。翌年「先日走ったら倒れたんですけど」と言うと「じゃあ体育は止めておいて下さい。また来年ね」と、とりつく島もなかった。
ある年の受診前、開業医になった父が私を聴診して「治ったはずなのにまだ雑音が聴こえるねえ」と首をひねった。驚いた私は父の心音を聴いてみた。ズァーッズァーッという音しか聴いたことのなかった耳に、正常心音は新鮮に響いた。
治ったと言われているのに心雑音がなぜ残っているのか?年に一度のやりとりがあれでは不毛じゃないかと、医師の対応に不信感を抱いた。毎年医師が替わるので話もつながらない。
予備校で多源性心室性期外収縮が続き地元の病院を受診したら、パッチにリークがあると指摘された。2回追加した心力テではいずれも再手術は不要との結果だった。たくさんの人に命を救って戴いた身であるので、ご恩返しにと思って懸命に勤務医を続けたが、結局は心臓がへたばってきてしまい、稀有型難治性心房粗細動にも洞不全にもなった。一般的予後を尋ねたら「生きてる君が症例報告もんだから分からない」との返事で、先の見通しが立たなかった。医局他に多大な迷惑をかけつつ、内服も目一杯して頑張ってみたものの、発作が頻発し、アブレーションは5回受けたが不成功に終わり(心筋肥厚のためにカテ先端が異常回路に届かない)、その後は発作の度にDCで止めていたら30回以上にもなった。準緊急的にペースメーカーを装着したのは9年前のこと。その年の暮れに開業した。発作は起きるがオーバードライブで止められるようになってDCからは解放された。
つい近年、私の受けた手術は遅過ぎて適応外だったと聞かされた。受けてしまったものは今更どうしようもないが、その後の対応を反面教師として私は教訓を得た。「患者には嘘をつかない」「生活指導は丁寧に」である。気管支喘息の小児を診ることが多い現在だが、運動能力を培う大切な小児期にアンダートリートメントできつい目に遭って、周囲の無理解で心まで傷ついていく子どもたちを診ると、内臓疾患への対応の難しさを痛感する。彼らの代弁者でありたい、彼らには医療への不信感を持って欲しくない、と強く願っている。 |