先達への思い

 小郡三井医師会の歴史は、平成2年(1990年)に編纂された小郡三井医師会史に詳しく記載されている。そして、その医師会史の年譜は天保7年(1836年)高松凌雲(幼名権平)が御原郡古飯村(現小郡市古飯)で生まれたとの記載で始まっているのである。ここに我らが小郡三井医師会の思いが込められている。
実際は明治16年(1883年)に設立された御井、御原、山本三郡医師組合がその始まりであろうが、私たちの掲げた理念の象徴として、高松翁の生誕をその始まりとしたのである。
 その後、自治体の区域割りの変遷とともに数回の改組を経て現在に至り、三井医師会の名称が小郡三井医師会となったのは、平成2年4月である。そしてその年の5月、橋本達郎会長の時代に、懸案の小郡三井医師会休日診療地域医療センターが落成し、その一部を医師会事務所として使用することが可能となった。昭和27年(1952年)の恩賜館消失以来やっと念願の自前の本拠地を得ることができたのである。
 今、域内は福岡市や久留米市のベッドタウンとして発展するとともに、人口増を見越した新規開業数も増え、急速に会員が増加し、現在A1会員59名、A2会員24名、B会員7名となっている〔平成8年(1996年)10月現在〕。したがって平均年齢も若返っており、新旧世代間の意思疎通が大切な課題の一つとなっている。
 さて、翁の話にもどるが、翁を我々は医傑と呼ぶ。30歳で徳川家の奥詰医師となり、パリ万博へ幕府派遣団として渡欧、ここで赤十字活動などを学び帰国。函館五稜郭の戦いに参加、函館病院院長として、周囲の反対を押し切って敵軍の負傷者も手厚く治療したのである。これが実質的には我が国はじめての赤十字活動であることは周知の通りである。明治12年(1879年)には貧しい人々の施療のための「同愛社」を設立、日本最初の民間人による社会事業を起こしたのである。翁は東京医師会会長を努めた後、大正5年(1916年)79歳の生涯を終えた。
 我々は医師会活動の原点を振り返り、範とするため、翁の遺影と生涯を松尾三夫会長により小郡休日診療センター内に顕彰した(平成8年)。また最近では、同じ小郡出身で杉田玄白の「解体新書」から48年後に、久留米藩で最初の人体解剖を行い、多くの門弟を育てた医学者、酒井義篤についても会員の間でその偉業を後世に残そうと、努力されているところである。
 佐々木一彦会長以下現会員は、この地域で生まれたこのような先達や、この地域の医療を、まさに慈愛と奉仕の精神で守って来られた先輩医師を思い起こし、その苦労を忘れないことこそが、明日の医師会の精神に強靭さを与え、新たな時代認識をつくるものと信じている。また、医師会の歴史の中で、名もなく献身された看護婦をはじめ、関係職種の多くの方々にも思いを寄せ感謝し、今を語り今からを語る、そんな医師会を目指している。

(文責:丸山 泉)