「情報産業としての医業、知識産業への回帰」
丸山 泉 (小郡・三井)
 
医療と言う言葉の意味は広範囲であいまいなものがある.医学と医療ですら混同される事が多いし,医療は高度先進医療,救命医療,家庭医,あるいは老人医療などいろいろなイメージを持っている.ただこれまでも,医療と医学は一体であったしこれからも一体として進歩することは間違いない.医療に対するいろいろなイメージは多様な個人史を持つ人を相手にしている事を考えれば,それは当然かもしれない.また,医療は国民が均等に享受すべきものとされる現代の先進国においては,それにつきまとうコストの財源が大きな問題となっている.戦後50年を経た今,これからの50年を考える時,確実に進歩してきた診断や治療技術に素直な評価があってしかるべきだし,どれほどの人々がそのおかげをこうむって来たかははかり知れない.しかし,これからの50年の最初のハードルとして,過去に経験したことのない超高齢化社会を迎えようとしている今,過去に経験したことのない超情報化社会を迎えようとしている今,これまでの評価は評価として,医療にも新たなシステムと概念の構築が急務となっている.
 開業医である自分の守備範囲の中でコミュニティーにおける医療について考えてみよう.
 テクノロジーの進歩は医療において特に顕著であった.最近では遺伝子治療,がんの早期発見治療あるいは移植医療や人工臓器の進歩において目立ったものがある.また他の職業と同じに医師の領域でもコンピューターが聴診器の様に使用される時代が来ようとしている.ハイテクを駆使した医療機器なしでは診断治療が困難となっている.だが,テクノロジーの進歩とともに反テクノロジーの考えが台頭してきたことも事実である.それは
経験的反省に立ったものであったり,きちんとした東洋的な思想にもとづくものであったり,極めて情緒的な反テクノロジー辺例の片寄ったものであったりする.テクノロジーの進歩の恩恵は素直に認める必要があるが,このような反テクノロジー的な考え方が出てきた事実に対しても,これからの50年を考える時,謙虚に意味を見つけねばならぬことは言うまでもない,むしろこの点にこそ今後への修正点があるのかもしれない.テクノロジーに邁進してきた中で我々が失ったものを医療においてもじっくり考えて見ること,そして非テクノロジー的な医療にも正当なフィーを認めるシステムを作ることも大切と考える.もちろん,テクノロジーを否定するのではなく新しいテクノロジーへの注意力は持ち続ける必要がある.むしろテクノロジーの概念の拡大と考えるべきだろう.
 誤解を恐れずに言えば医療はシャーマニズムの古代から現代社会にいたるまで,まさしくビジネスとして発展してきたと言ってもよいだろう.では他のビジネスと医療はどこが違うのであろうか.人の生命を相手にするから違うのだろうか.医師がエリートと呼ばれたのは最近数十年の事にしかすぎない.医師は聖職なのであろうか.否である.医療も経済社会の中にあっては決して例外ではないし,したがって市場原理にも当然さらされる.医師も他のビジネスマン同様果敢にその変化に対応して行かねばならないのである.ビジネスである以上,聖域はないし,自らその変革に対応するしかないし,競争も余儀なくされるのである,ところが,現状に不満を言うだけで自らは改革をいさぎよしとしない人の何と多いことか,また不満の相手を行政一本やりとする人の何と多いことか.医師という資格のみにこだわっている人の何と多い事か.
 では21世紀の医療のキーワードは何であろうか.「全人的医療」,「医療と情報」,「人権」そして「環境への問題意識」,「生死観」ではないだろうか.(生死の問題は私には難しすぎる.)
 医療のシステムはきわめて巧緻なものとなり,しだいに複雑となり,それに伴ってシステムの運用は無機質なものになっている.これまでの医療の進歩の中で,そのシステムの複雑化とともに失われたものも大きかったことは,これにたずさわるものならすでに実感しているはずである.患者や家族と我々が向かい合うインターフェイスは多面化し,これがややもすれば人対人から人対組織,人対物へ変わることにより大きな弊害をもたらしている.全人的医療を唱えるが,いかんせんシステムそのものの複雑さから医師そのものが全人的なものとして相手に見えなくなっているのである.言い方を変えれば,全人的医療のためにはこちら側も同じ目の高さでいる必要があるのに,患者は医師と言う職業と接する機会があっても医師と言う人格と接する機会が少なくなっている.これは単純に家庭医制度の充実といったもので解決される様なものではないだろう.(制度の改革のために新たに制度を作る,この方法論はすでに行き詰まっているのではないか.)これは,高度先進社会が陥る基本的な弱点なのかもしれない.また医療供給側も受ける側も多くの人々は医療システムは単純化されたものを望んでいるのに,システムは利便性,公平性,周到性という名の下ですでに複雑化しており,扱いにくい代物となっている.例えば,身近な例で,医療保険のシステムの難解さはどうであろうか.理解することに使ったエネルギーほどに,本来の運用にエネルギーを使っているだろうか.一般に社会が高度化すればシステムは複雑化する.これはやむを得ないことである.これからはこの複雑なシステムをそぎ落としスリムにする作業が必要だと考える.
 さて,今後の医療の問題の中で情報は多くの課題と将来性を含んでいる.医療情報を三つのカテゴリーに分ければ,一つは医療供給側の情報,一つは患者及びその関係者に関わる個人情報,一つは一般的な医療知識(医学知識も含めた)などの情報である.医療機関,医師などの情報は今以上に開示される必要があるだろうし,消費者(あえて患者さんとは言うまい)の選択のために適正の情報がもっとオープンにならなければならない.また,患者個人の情報に関しては,今以上に守秘義務を守り続けなければならない.インフォームドコンセントはいわゆる説明と了解の大切さのためにあたりまえのこととして充分な時間がさかれなければならない.医師は他人の最も弱い部分を知りうる立場である.また,日本的なファジーな納得の仕方も時代と共に変化している.現にがんの告知が身近な例で当たり前の事になって来ている.個人情報は今後きわめて神経質に管理せねばならないだろう.(個人的には人権意識が熟成した後,それがもっとあたり前の時代が来てから,脱アイデンティティー時代,脱個人時代が来るような予感がしてならない.また,そうなっていかねば次代の若者が我々を支えていくことが困難になるのではないだろうか.)
 再度誤解をおそれずに言おう.医療はビジネスである.ビジネスでないといくら主張しても現実にはまさしくビジネスなのである.先進国の中で,そして自由主義経済の中で,細々とでもそれなりの役割を担ってきた社会主義的な考えが風前のともしびである現在,医療が社会的に保護されている.あるいは市場原理とは別の聖域であるという主張には力がない.むしろどっぷりつかった現経済の中で,健全なビジネスとしての発展を共通の目標として,先進的医療立国を目指すほうが現実的なのではないだろうか.医師組織そのものが学術団体から正当なビジネスを行うための学術的うらづけを持つビジネス団体への脱皮をすることが求められるだろう.そしてこの中で医療情報を21世紀に我々医師が制することができるかどうかが,重要な課題のように思われる.先端テクノロジーに対する知識を深め,医療に関する情報を自分のものとしておかねばならない.また医療システムを熟知して社会性を持っていなければならない.情報を制するものがビジネスに勝ち残れるのである.またこれからも医師が医療のイニシアチブを取り続けるのなら,医師組織(代表的には医師会)は次世紀に向けてかなり大胆に改革されねばならないだろう.内部からの改革は現状を知れば知るほど困難と感じるが.柔軟性に欠け,膠着した組織で乗り切るには迫り来るハードルは高すぎるのである.我々が未来に夢を見るかどうかは,ただ内部的な改革の可能性にかかっているかもしれない.医者別格論を今どき公に述べる人はもちろんいないが,歴史の中でしみついた我々の権威的体質,閉鎖的体質,変革を嫌う体質から早く脱して健全なビジネスを職業倫理をもって発展させねばならない.
 医師は私どものなりわいである.なりわいである以上ビジネスなのである.21世紀まで数年となった今,最も急を用するのは私ども自身の意識改革と私どもの組織改革そして出来上がった医療システムのスリム化による人対人のインターフェイスの回復ではないだろうか.そしてまた情報の発信受信の主体性を医師が持ち続けることである.医師の職業的インテリジェンスに対する評価を現在の技術評価と同等に与えられるような状況を作らなければならない.技術産業にシフトしている現状から情報産業としての医業をどう構築するか,そのためにすべきことは何か,医療人としてのほこりにかけて変革を恐れてはいけないと考える.コミュニティーの中で医療情報のエキスパートとして認められ,知識産業への回帰を進めることが最優先の課題ではないだろうか.