一般社団法人 小郡三井医師会

病気と健康の話

楡の木クリニック 院長 富田 克

  • クマの出る町 -パニック障害とその治療-
  • 投稿者:楡の木クリニック 院長 富田 克

 精神科、心療内科の外来でうつに次いで多い病気にパニック障害があります。
 あらゆる世代に発症し、短期間に良くなることも多いのですがこじらせると生活上の困難が長引くこともあり侮れない病気です。
 パニック障害とは医学的に言うと「突然、何の前触れもなく動悸、呼吸困難、発汗、ふるえ、めまい、死の恐怖などを感じるパニック発作が生じ、その後の繰り返す発作と、また発作が起きるのではないかと言う不安(予期不安)を主な症状とする病気」ということになります。この予期不安は発作が起きたことのある場所やそれに似た場所で悪くなりこれをAgoraphobia;空間恐怖症と呼びます。空間恐怖症は不安になる場所を避けると言う行動につながり普通に生活できる範囲をどんどん狭めていきます。
 通常は動悸や呼吸困難などの身体の不調が強く自覚されますから内科、救急病院をまず受診されることがほとんどです。そこで「何も異常はありません」と言われて首をかしげることになります。「正体不明の病気にかかった」というわけです。場合によっては「精神的なもの」と言われて途方に暮れることもあります。パニック障害はストレスで悪化することもありますが、まさに「青天の霹靂」として特にストレスなんかなくても自然に起きることが多いからです。
 パニック障害と随伴する空間恐怖、そしてその治療を理解してもらうために私は「クマ」のお話をします。
 みなさんが山でハイキングをしていたらクマに遭遇したとしましょう。その時みなさんの身体はどうなるでしょうか?森のクマさんの歌のように悠長な感じでは済みませんね。きっと心臓はバクバク、息は荒くなって、冷や汗が出て、足がガクガクになります。同時に「やばい!どうしたらいい!?」と強い恐怖に襲われます。この体の反応は「Fight or Flight:戦うか逃げるか」と呼ばれ危機に直面した時に神経をフル回転させ危機に対処しようとする動物一般の「正常な反応」です。パニック障害とはこの「正常な反応」が実際にクマもいないおかしなタイミングで出てしまう神経の誤作動の病気です。救急病院で身体をいくら調べても正常と言われるのも当たり前なのです。ほぼ神経の偶発的な誤作動によるので「精神的なもの」という指摘も不適切です。
 パニック発作は通常一過性で何時間も続くようなことはありません。誤作動を起こしている身体から見るとクマは程なく目の前から去っていくわけです。ですが一件落着とはいかない問題があります。もしクマと出会ったその山道に明日も、明後日も行かなきゃいけないとしたらどうでしょうか?きっとそこに近づいただけで「今日もクマがいるんじゃないの?」とすごく不安になると思います。そうするとクマと出会った場所に近づくにつれ胸はドキドキ、息は荒くなって、震えがきて…。これもまた危険の再来に備える生き物としてごく正常な反応です。でも実際起きている場所はいつもと変わらぬ平穏な場所ですから身体の変化は正体不明の病気としか思えなくなります。これがパニック障害の空間恐怖症の正体です。この空間恐怖が起きる場所が通勤通学の電車だったりすると生活に大きな支障が出ることは想像に難くないでしょう。
 パニック障害を放置して町のあちこちでパニック発作が起きるということは町のあちこちでクマと出会い続けるというのと同じで、クマだらけの町で全く安心できない日々を生きなければならないことを意味します。パニック障害の治療の第一歩はもうこれ以上「見えないクマ」と出会わないようにする、すなわちしっかり薬を飲んで確実に神経の誤作動を止めるところから始まります。動悸がしたら薬を飲む、不安になったら薬を飲むとかという対処ではありません。「そうならないように確実に発作を元栓から止める治療」が必要です。これがうまくいくと発作が止まる、つまりもう町でクマとは出会わなくなります。
 さらにここから先がとても重要です。薬で発作が止まる=もうクマと出会わなくなっても「クマと出会ってとんでもない目にあった」という経験がなかったことになるわけではありません。なのでパニック発作が止まっても空間恐怖症はその後も続いてしまうことが多いのです。
 怖い目にあった経験の影響はどうやったら消えるでしょうか?
 経験を変えるものはやはり経験です。「あの山道でクマが出て酷い目にあった。あそこはとにかく危険で怖い。」という体験とその影響を変えるのは「あれから何回もあの山道を通ってるけど全くクマは出ない。もうクマはここにはいないから安心だね。」という体験しかありません。そのために行うのが空間恐怖症を克服するためのIn vivo exposure(現実暴露療法)という行動療法です。 これは時には薬の手助けを用いながら問題の場所に何度か足を運んで経験を上書きしていく方法でやや地味で根気のいる作業です。しかしこの「新たな経験を積むこと」の効果は大きく、続けると空間恐怖は徐々に消えていきます。
 パニック障害はとても一般的な病気ですからみなさんの周りにも患者さんがおらえるかもしれません。「気の持ちよう」などと軽んずることなく地道な治療をしっかりサポートしてあげて下さい。

 

令和元年8月分

PAGE TOP