
- 眠りの問題のいま
- 投稿者:楡の木クリニック 院長 富田 克
眠りの大切さはをみなさんは知っておられるでしょう。でも、そもそも私たちは何のために人生の三分の一も寝て過ごすのでしょうか?
睡眠の役割として昔から知られていることは昼間活動して上がってしまった脳の温度の文字通り「クールダウン」です。沢山の電気的活動をしている脳を守りその機能を維持する役割が睡眠にはあるのです。そのほか近年分かってきた睡眠の役割には記憶の定着、免疫能の向上、脳内の老廃物の除去などがあり、眠るということが私たちの一生にとても大切な役割を持つことが知られるようになってきました。そのために人生の三分の一もの時間、私たちは寝て過ごすのです。国もさまざまな活動で眠りの重要性に関する啓発活動を行っています。しかし、今日も精神科・心療内科の臨床現場には実に「現代的」な睡眠の問題が持ち込まれます。今回は世代別によくある睡眠の問題についてお話ししたいと思います。
【責任世代の無自覚な超人】
精神科・心療内科の医療機関には様々な不調を訴える方が来られますが、いわゆる自律神経失調症と言われる突然の動悸、呼吸困難感、吐き気、めまい、など全身の内臓の「歩調が取れない」症状はごく一般的です。これらの症状を訴えられる方の生活の詳細をお伺いしていると驚くような「超人の生活」が見えてくることがあります。経済的な理由から昼間働き、夜ダブルワークで無理をする方もおられますが、多いのは全くの無意識に超人的生活をしてしまっている方達です。一人のお子さんが受験生で塾から遅く帰ってくる。温かい食事を食べさせて、片付けをして、子供がお風呂を上がって最後に自分が入り布団に入るのは1時過ぎ。朝は5時前に目覚ましが鳴り、家族のお弁当を用意してもう一人のお子さんが部活の朝練に行くのに駅まで送って行く。みんなを送り出したら自分もパートで仕事に出る。お伺いするとこのような毎日を送っておられます。超人なので常にエンジンかかりっぱなしで昼の眠気があまりなく、自分が「寝不足」であるという自覚に非常に乏しいのが特徴です。世の中には元々短い睡眠で生活しているショートスリーパーなる人がおられますがこれは非常に特殊な人で、普通の人が健康な生活を送るのに必要な睡眠時間は6時間以上とされています。必要な睡眠が取れずにいると超人の脳も「オーバーヒート」します。その結果が自律神経の失調です。多くの方は寝ようとしさえすればちゃんと眠れて病状も改善していきます。
時に「週末に寝溜めしています」とおっしゃる方もおられます。週明けから4時間睡眠を6日、週末に18時間寝ると平均睡眠時間が6時間になりますが、さてこんなこと可能でしょうか?もしやっても脳は「寝溜め」なるものができるつくりをしていないのでこの方法に効果は望めません。ご家族の協力を仰いでちゃんと寝るようになると症状はみるみる良くなっていきます。
【名月を取ってくれよと嘆くお年寄り】
「名月を取ってくれよと泣く子かな」 無理なお願いをする子供を描いた微笑ましい俳句をみなさんもご存知でしょう。睡眠の臨床ではそう嘆くのは子供ではなくお年寄りです。「寝つきが悪くて困っている」という方がよく内科の先生を介して受診されます。適切に眠り薬を服用してもらってるのに効果があまりないようなのでとのご紹介です。寝つきに2時間も3時間もかかるとのこと。生活についてお話しを聞くと、そろそろ寝ようと布団に入るのが9時前。お早いですねというと「することがない」「TVがつまらない」というお話しがよく聞かれます。2-3時間かかってやっと寝た後に朝起きて床を出る時間をお尋ねすると「8時」。実に1日の半分近くを「布団で寝ているか、寝ようとしている」という話です。体が悪くて布団から起きづらいかたもおられますが、人間何を食べても消化できるわけではないというのと同じで、脳は「寝ようと思ったら好きなだけ寝れる」という作りになっていません。さらには、年と共に胃腸が衰えるように眠る力も徐々に衰えもします。ご所望のように眠ることは「名月を取るかのように不可能です」とお伝えして生活を変えることをお勧めしますがこちらはなかなか一筋縄ではいかないのが現実です。
【日本にいながら「海外暮らし」の子ども達】
インターネットの普及で世界は昔より急激に狭くなりました。良いこともたくさんありますが世界中の情報をあっという間に伝える情報端末は私たちを日本にいながら「海外暮らし」にしてしまうことがあります。これは「眠れない」「寝すぎる」として受診される子供達にとても多く見られます。最近の子供たちにとっては宿題をしろとガミガミいう親から解放され、自分の部屋で電気を消してからが自由時間です。スマートフォンを使ってYouTubeの視聴やネットゲームが始まります。楽しいし、たまにはためになることもあるでしょう。でも身体に対してやっていることは「夜間の顔面への光照射」です。私たちの体中には時計があり、その中心となる「体内時計」は脳の視交叉上核という場所にあります。ここは目から入る光をキャッチして時間を知る仕組みになっていて普段私たちの体内時計は日本の「昼の日光」を目に入れて日本の時間で寝起きするようにセットされています。夜中に目の前(ここがテレビと大きく異なります)で強く光る情報端末を凝視していることは本人は無自覚ですが体内時計に「今まだ昼ですよ!寝る時間じゃないよ!」と指示を出していることになります。指示を受けた体内時計は律儀に時計の時刻を修正していき、子ども達は日本の一般的な生活時間から見るとどんどん「遅寝遅起き」になっていきます。頭の中だけ日本を離れ、三蔵法師御一行のようにどんどん西に旅して天竺(インド)あたりに達して学校に行けなくなり「しまった」となるわけです。でもここから慌ててもこれが簡単には元に戻りません。実は体内時計は西には簡単に旅ができますが東にはなかなか旅してくれないのです。体内時計の時間は後ろにはずれやすく前にはなかなかずれてくれません。「遅寝遅起き」は簡単ですが「早寝早起き」にするのは結構難しいのです。これは海外旅行時の時差ぼけの強さにも関連します。東方向にアメリカに行った時の時差ボケは帰国時の時差ボケよりもきつくなります。「眠れない」「寝すぎる」として病院に連れてこられるお子さん達は確認すると普通に健康とされる8時間睡眠を保っていることが多く、不眠でも過眠でもなく体内時計だけ「海外暮らし」をしています。これを改善するのは大幅な生活習慣の変更、特に情報端末との付き合い方の見直しが必要になります。
以上、病院でよく見かける眠りの問題についてお話ししました。この機会にぜひご自身、ご家族の眠りを見直してみてください。
参考文献:厚生労働省:健康づくりのための睡眠ガイド 2023

令和8年7月